ミーのカーでゴー

おーけーごー

日本語出来るんだから中国行っても大丈夫だよと言われる感じ

都会でイヌッコロを飼うとドッグランを介して色んな知り合いが出来るようで(田舎でイヌッコロを飼っていた時は犬が好きな近所の小学生といつも散歩してるようなおじいちゃんしか知り合いが出来ない)、ドッグラン仲間の方から、キーボードが欠員しているバンドがあるから入らないか、ピアノ習ってる事だし、と、いうわけで、バンドに入る運びになった

 

そんな感じで先々週、そして今週と練習に行ったのだけれども、これはあれだ、日本語出来るんだから中国行っても大丈夫だよ、漢字読めるし、というインド人(じゃなくてもいいんだけど)に説得されて中国に来たものの、確かに漢字は使っていて何となく読めるし多分の意味は分かる気がするのだけれど、かと言って話せる訳ではないし、そもそも多分の意味しかわかんないし、つーか、話すの早くて何言おうか考えてる間にわたしの話そうとした話題からは5万光年ぐらい遠ざかってしまってるなあ、という感じである

 

今回の練習も結局、適当に弾いて、間違ってもいいから、との事だけど、杏仁豆腐が食べたいです、程度の事すら話せないためダンマリしてやり過ごし、中国語で杏仁豆腐食べたいすら言えないわたしが、適当に中国語で漫才とか厳しくて辛い、確かに日本でも漢字は使っているのだが、だからと言ってそれが通用するわけではないのだ、と、悲しい気持ちになって帰宅する

 

しかしだ、帰宅してお風呂に入って考えてみると、まあクラシックの人がコード譜渡されてバンドのキーボード出来たり、バンドのキーボードの人が楽譜渡されてクラシック出来たり、中国語をやった事がない日本人が杏仁豆腐食べたいと中国語で話せたり、日本語をやった事がない中国人がどこのコンビニの納豆巻きが美味しいかと日本語で話せたら、だ、苦労しないだろうし、世界の戦争はなくなるかもしれないし、やがて時は過ぎて人は死ぬだろうし、というクズ発想が浮かび、何も出来なくてもまあしょうがない、何故ならこの世から戦争はなくなっていないし、時は過ぎるし人は死ぬから、という、結論に落ち着いた、良かった、発想がクズで

 

いやしかしだ、多分このままだと国外追放されるだろうなあ、とは薄ぼんやりと思ってはいる、その時はその時でまたクズ思想を働かせて、そんなに悲しい気持ちを長引かせないようにしよう、というわけで、日本語出来るんだから中国行っても大丈夫だよと言われる感じの日記、おわり